「しつけの習慣ー子どもが伸びる、魔法の口ぐせ」

コンビニで、こんな本を見つけました。
「図解・子どもの性格を決める しつけの習慣」多湖輝 著 PHP研究所
ぱらぱらと立ち読みして、なるほどー、と思う記事がいろいろとあったので、しつけにまったく縁が無いのに、思わず買ってしまいました。

内容はまず章立てが4つに別れていて、各章に10例前後の「しつけのこつ」が見開きで載っています。例えばこんな感じ。
まず第一章の「親の口癖で決まる子どもの性格」の中の「『運動は上手だけれども勉強は』ではなく『運動もうまいんだから勉強も』」という項目では、同じ内容でも、言い方次第で相手に与えるイメージはがらりと変わり、相手が子どもだと、親の何気ない一言が子どもに重大な影響を与えかねない事が紹介されています。

例として、校内のパスケットボール大会で、子どもが終了間際に決めた逆転シュートでクラスが優勝した際に、息を弾ませて「僕の手で決めたんだよ!」と意気揚々と報告する子どもに、母親が思わず「そう、運動は上手だけど、勉強は全然ダメね」と言ってしまい、以来子どもが大の勉強嫌いになってしまって困った、という話が紹介されていました。
この時、もし母親が「運動が得意なんだから、勉強もできるはず」と、子どもに希望を持たせる言い方をしていれば、子どもを勉強嫌いにせずに済んだであろう、ということです。
子どもは母親に期待されている事がわかると、やりたくないことでも「できるよ」と返事をしてしまうもので、まさに「ものは言いよう」なのだ、と説明が続きます。
なるほど、確かにこのように説明されれば自明の理なのですが、なかなかそう出来ないのも道理です。

このように、他にも「『人が見ているから』ではなく、『人間としてそういうもの』と教える」「引っ込み思案の子には『失敗してもいい』と教える」「約束に例外を認めると、子どもの『三日坊主』は直らない」など、読んでなるほどの「しつけのこつ」が満載です。

第四章の「絶対、言ってはいけない言葉」の項目では、子どもを叱る時に、必要以上に子どもを脅かす言葉を投げつけていないだろうか、という事が問題提起されています。
子どもを叱ること自体はしつけや教育のうえでは大切な事なので、否定するものではないが、例えば「おまえのような子は、お母さんの子ではありません」とか「家から出て行きなさい」といったたぐいの叱責は、言う方はそれほどのつもりはなくても、子にとっては悪質な脅しとなって子どもの胸に突き刺さる場合が多い、ということです。

子どもは、たいてい生まれたときから「親なしでは生きて行けない」という潜在的な不安を持っているもので、心理学ではこれを「基礎不安」というそうですが、これがある為に上記のような脅しの言葉は、子どもの深層にある『不安』をかきたて、致命的な打撃となる可能性があるらしいのです。
親から見捨てられたとか、愛されていないと感じている子どもは、精神的に不安定になりがちで、そうした土壌のある所へさらに引き金となるような事件が起こると、最悪の事態に発展してしまう事があるそうです。またそこまでいかないとしても、勉強に集中出来ない、性格的にも暗くなり易いんだそうです。

このページは次のような言葉で締めくくられています。
「たとえ子どもがどんな悪い事をして、周囲からとがめられようとも、親はいつも最終的に子どもの味方である事を繰り返し伝えておくことです。何があろうと、親が自分の味方である事を感じていれば、子どもがいたましい自殺に走る事だけは避けられるはずなのです」

子どもが自殺をすると、学校や先生の対応がよく取りざたされますが、やはり子どもの自殺を食い止める事が出来るのは、親の日頃からの対応の方が大きなウエイトを占めているのではないのかなー、と、この本を読むと感じてしまいます。

また自殺に限らず、今の子ども達にモラルが無かったり、大人から見てちょっと変だなと思う点があるとすれば、それはすべてその子ども達にそうした教育や、そう育つ環境を与えた大人のせいであると僕は思います。
最近は教育基本法の改正問題が取りざたされていますが、「愛国心」を教える事を盛り込むだとか何だとか、そんな皮相的な事では何も事の本質は変わらない、と思います。

僭越を承知で言えば、教育を変える、とはまず確固たる価値観を国として、日本人として確立し、その価値観に基づいて子ども達にしてはいい事悪い事、をきちんと教えられるようにならなければいけないんじゃないかなー、なんて思います。

子どもに語るべき価値観の無い親は、子に迎合し、子に甘え、子どもに気に入られようと友達の振りをします。そんな親に育てられた子が、まともじゃないとしても驚くには当たりません。
子ども達を変えようと思ったら、まずは大人が変わらなくちゃいけない。
でも今の大人を変えるのはちょっと手遅れ気味なので、子ども達に、将来の自分の子どもを教える方法、というか教えるべき価値観を教育の中に盛り込んで行く、というのはどうでしょうか。

通常、どの国でも道徳心や物事の善悪、善し悪しを判断する基準を宗教が提供しています。
日本には、キリスト教のような、わかり易い戒律や何をしてもいい、してはいけない、といった事を書いた聖書のような教典のある宗教がありませんでした。
その代わりをしていたのが武士道だと言われていましたが、戦後のアメリカナイズされた日本ではそうした考え方もすっかり無くなってしまったように感じます。
そして今の日本は、そうした歯止めの緩い、何でもありの社会になりつつあるようです。

他人に迷惑をかけなければ何をしてもいい、人にばれなければ何をしてもいい、自分さえよければなにをしてもいい・・・・・。

ちょっと話が逸脱しましたが、このちょっとおかしくなりかけている日本を軌道修正するには、やはり子ども達に昔から日本人が持っていた価値観をきちんと伝えて行かなければいけないんじゃないか、と、そしてそれにはまず親がきちんとしたしつけを子どもに対してする事が出来なければならないんじゃないか、と思うわけです。

言う事を聞かないから、自分の思い通りにならないから虐待する。
・・・しつけが出来る出来ない以前に、人としてどうなの?と言いたくなるような親が増えつつあるようです。
この現状を変えて行くには、国を挙げてきちんと、まずは日本人としての確固たる価値観を確立し、それを子ども達に伝えて行く。
それしか無いような気がします・・・。

ただ、その「日本人としての確固たる価値観」って、何だろう、という大問題がありますが・・・。

ああ、今日はちょっと大風呂敷を広げすぎて、話が収拾つかなくなってきました。
すいません、今日はこの辺にしておきます・・・。
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by idive | 2006-11-27 23:30 | 観る、聴く、読む
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